踊って税金を許してもらう
お客様より「昔は税金を払わなかったらどうなったの?」という質問を受けた。
どのように調べればいいのだろう? 「年貢が払えない」 > 「百姓一揆」 という歴史上の構図が頭に浮び、その中に答えがあるような気がした。
ちなみに日本最大の反乱は、1637年の島原の乱である。歴史上の一揆というものは、多いものですら数百人程度の中、島原の乱だけは3万7千人が参加し、
しかも全員殺害されたという日本史上類がない最大の一揆である。ちなみに教科書では宗教一揆というイメージがあるものの、実際は、重税による百姓一揆という性質も濃い。
そして、私は、ヒントを得るため熊本県の本渡市立天草切支丹館に足を運んだ。館内には「天草四郎陣中旗」という血や矢に刺さった跡がある旗が展示されていた。
これは戦利品として幕府軍から分捕られた品で、ちなみに現代では国指定重要文化財となっている。このような数々の展示品を見ていくうちに、ある説明文を見つけた。
島原では、キリシタンや年貢の納入を怠った者には厳しい刑を課した。主な刑だけでも20種類に及んだ。 水責メ・目玉抜キ・焼印・指切リ・鼻キリ・耳キリ・穴ツルシ・硫黄責メ・針責メ・木馬責メ・竹鋸責メ・子責メ・温泉地獄責メ・穴埋メ・水牢・斬首・サラシ首・ハリツケ・火アブリ・ミノ踊リ。
さらりと読むだけでも痛みを感じる。しかし、ひとつわからないのは最後の「ミノ踊り」だ。踊って許されるなら、
ありがたいが、そんなかわいいものであるわけがない。何しろ相手は「踏絵」という悪趣味なものを発明するくらいなのだから。
調べてみると、「ミノ踊り」というのは、干し草の雨具である蓑を着せて、手足を固く縛り、火をつけるという火刑の一種である。
苦しみもがく姿が、踊るように見えたことから、そのネーミングがされた。当時、島原では、年貢(税金)を滞納すると大変なことになったのだ。
今の加算税や延滞税なんか痛くも無くなるような話である。
戦後まで、島原税務署管内では、地域特例として重加算税の代わりにミノ踊りを選択適応が可能だったが、人権団体の反対で廃止となった。
・・・ということを、お客様に回答したが、反応は「へぇ」だけだった。
(ちなみに、最後の島原税務署の話はウソである)